このブログでは、糞ゲーを多く扱っているが、 KOTYのような、バグ満載のどうしようもない糞ゲーというよりは、 どちらかというと一部では評価が高いようなゲームを多く叩いている。それはなぜか? よく、駄目な部分が多いが自分は楽しめた、というようなゲームを「人を選ぶゲーム」と呼ぶ。 万人には勧められないが、楽しめる人には楽しめる、そんなマイノリティゲームである。 では、万人ではなくても、楽しんでいる人がいるゲームをなぜわざわざ叩くのか? それは、楽しんでいる人がいようと、一方では糞ゲーという意見もある、ということを認識させるためである。 例えば、mk2の評価で、斬撃のREGINLEIVは78点、朧村正も79点、デモンズソウルは89点といずれも高評価である。 一方、名作と名高いドラゴンクエストⅣ 導かれし者たちのDS版は69点、 PSPで大人気のモンスターハンターポータブル2ndGも67点である。 これだけ見れば、ドラクエ4やモンハンよりデモンズソウルの方が面白いのか? と思うだろう。 一方、売り上げは、斬撃のREGINLEIV(3万7千本)、朧村正(4万5千本)、デモンズソウル(16万本)、 DSドラクエⅣ(121万本)、モンハン2ndG(245万本)である。 これを見ればわかる通り、マイノリティゲームというものは、そもそも売れていない。 つまり、多くの人間にプレイされていないのである。 多くの人間がプレイしていないのに、評価だけは高い。つまり、一部の意見しか反映されていないということになる。 そもそも、このようなゲームを買う人間は、ゲームに求めるものが違う。 例え、やりにくい仕様があったとしても、許容してしまう。 ゲームでのミスは自分のミスであり、ゲームの仕様は全て把握して当然。 理解できなければ説明書を隅々まで読め。クリアできなければ自分のスキルを疑え。である。 そう、開発者にとっては神のような存在だ。 しかし、一般的なユーザーにしてみれば、遊びにくい仕様やわかりにくい説明は全て開発者の責任であり、 自分がクリアできなければ難易度が高すぎで、自分が楽しめなければ糞ゲー扱いで即売り払う。 それが普通だろう。 一見、わがままと思うかもしれないが、商品というものは普通はそうだろう。 なぜユーザー側が妥協したり、余計な部分で苦労しなければならないのか? そもそも、ゲームのシステムはわかりやすく、説明書を読む必要もなく、難易度も最初は簡単で、 徐々に難しくなるというバランスで、1度行った場所は瞬時に行け、ボスの近くにはセーブポイントがあり、 操作は他の同ジャンルのゲームに準拠していて馴染みやすく、キャラの移動やゲームの流れもテンポが良い。 というようなゲームがすでにあり、それが良いゲームである、と認識されてしまった時点で、 ユーザーは同レベルのものを要求する。 今更、電気のない生活に戻れないのと同じである。 ゲームは、芸術作品ではなく、商品である。 商品であるからには、最低限のユーザーへのサービス精神が求められる。 「郷に入りては郷に従え」そんなものは一部のユーザーにしか通用しないのである。 |